自動的に母親に成るのか?
「あなたはお母さんになったからうんちのおむつも替えられるんだね」
すごいね、俺は絶対にできない、と出産から数日経過後、私に言ったのは夫であった。
こいつは何を言っているんだ……?
と当時は思ったのだが、今考えると違う視点で彼の発言を捉えることができる。
”女性は出産したら自動的に母親に成る”
夫はそう思っていたに違いない。
たしかに女性は子どもを産んだと同時に母親になる。
しかしそれは男性も同じで、子どもが生まれた途端父親になるのだ。
子どもを産めば自動的に親になるのは当然の事なのだが、母親の場合は父親の場合と別の意味が付与されるらしい。
”母親は子どもを産むと母親になり、自動的に子どもの世話をする能力を手に入れる”
何を言っているんだそんなはずないだろう、と私も今は思うのだが、
子どもを産む前は私もそう思っていた節がある。
眠れないとは言うけれど、もともと不眠気味だし、他の母親になった人たちだって暮らしているのだろうから何とかなるだろう。
だって、母親だから。
母親になったら、できるのだ。
自分でもそう思っていたし、周りにもそう言われていた。
だが、実際子どもを産んでみると、私は母親にならなかった。
自動的に子どもの世話ができるわけじゃなかった。子どもの泣き声に耐えられるわけでもなかった。体はボロボロで、夜な夜な子どもを抱いて歩いているとき、どこかに足を引っかけて転んで怪我をさせるのではないかと冷や冷やしていた。
何をしても子どもは泣き止まなかったし、ひたすら母乳を飲み続け、細切れの眠りは睡眠と呼べるようなものではなかった。
あの頃の私は、自動的に母親になったのではなく、子ども生かすためにGoogleで検索し、本を読み、Twitterをさまよって、それで必要な知識や慰めを得て、子どもと自分を生かし続けた。
それはひとえに私の努力からなるものだった。けっして母親になって母性に目覚めて子どもの世話ができるようになったわけではない。
私も夫も、どうして母親に自動的になると思っていたのだろう?
そのヒントになりそうなものを本で見つけた。
以下は、大日向雅美『母性愛神話の罠』から。
(1)”産む能力イコール育てる能力”説
最も素朴な母性愛神話は、女性の能力はそのまま育児能力に繋がるとみなす考え方である。たとえば『広辞苑』には、母性とは「女性が母として持っている性質。また母たるもの」とあり、母性愛は「母親が持つ、子に対する先天的・本能的な愛情」と定義されている。どのような特性を意味するかについての具体的な記述は省かれたまま、母性は女性特有の生得的な性質であることを強調したもので、いわゆる母性本能説を代表した定義である。
そう言われてみれば、母性と言われると、生得的なものとして語られていることが多い気がする。
次に、カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』より。
女性は生まれつき家事に向いているのだ、と人は言う。もしもそうなら、女性が皿洗いをしたり子どもの鼻を拭いてやったり、買い物リストをつくったりするのは、理にかなった役割分担かもしれない。--(中略)--でも、何を根拠に女性が家事に向いているといえるのだろう? 経済学者によると、もしも男性のほうが家事に向いているとしたら、すでに男性が家事をしているはずだ。--(中略)--でも現実に男性は家事をしていない。だから女性のほうが家事に向いているにちがいない、というわけだ。女性が家事に向いているという説は、その程度のいい加減なものだった。聞かれれば、生物学的に決まっているのだ、と言ってごまかすのが落ちだった。
家事に子どもの鼻を拭くことも含まれていることを考えると、育児も含めての話のようだ。
最後にもう一つ。
オルナ・ドーナト『母親になって後悔してる』より。
女性が産む能力と育児の必然性を合致させるという考え方は、いまだにかたくなに支持されている。さらに、母になる義務が「女性の本質」であるという表現は、生まれてきた、または養子に迎えた子どもの育児と世話をする先天的な母としての本能と生物学上の能力を、男性よりも女性のほうが備えているという考えを容認するためにも使われる。
上記三つの記述から、母親になれば自然と母親に必要な能力を得るのだと、世間一般的にも思われているらしい。
もし私が自動的に母親になれたなら、あれほど一生懸命に何かを調べただろうか。
もっと簡単に、余裕をもって子どもの世話をできただろうし、明るい顔をしていたはずだ。
もし自動的に母親になれたなら、生得的に母親としての能力があるなら、なぜ私は産後に訪れた保健師に心配されたのだろう。
エジンバラ産後うつ病質問票の回答をして、「子どもはかわいいけれど、いなくなりたい」と言った私は、何者だったのか。
生物として劣った母親?
母親になれないのは、母親自身の個人的な問題?
妊産婦の死因のトップが自殺であると発表されたことを覚えている人もいることだろう。
妊産婦の死因、自殺がトップ。産後うつでメンタル悪化か。~朝日新聞より | 医療法人玲聖会
実際に自殺した方の後ろには、通常のうつと同じように、死には至らないものの、苦しんでいる人が多くいることは想像できる。
実際、初産婦の25%に「うつの可能性がある」と判定されている。
女性は自動的に、母親に成れるのだろうか?
いいや違う、とあの頃の私に言いたい。
でもあの苦しさを産む前から知っていたら、母親になっただろうか。
私はどうして、母親の苦しみを知らなかったのか。
ところで、私はどんな母親に成れると思っていたんだろう?
母親について考える
子どもが小学生になった。
私が母親になってもうすぐ7年になろうとしている。
しかし7年の年月が過ぎても、母親というのがよくわからない。
母親になってから言われた数々のことばを思い出すと、
「あなたまだ働いているの?」(近所の高齢女性)
「早く帰れていいよね~俺も帰りたい」(元職場)
「パートなんてどうせ小遣い稼ぎだろ」(元職場)
「二人目は?」(実父)(祖母)「一人じゃ可哀想じゃない」(義親族)
「正月にお雑煮作らないの?」「あなたは教育ママになるの?」(義父)
まだまだ投げつけられた言葉はあるが、いずれにせよロクなことを言われた覚えがない。
あのね、私はあなた方の夢をかなえるためのモノじゃない。好き勝手に自分の“こうあるべき”を私にぶるけるな。私は私だ、ごちゃごちゃ他人がうっせえわ。
と毎回毎回心の中で(たまに表に出して)激怒している。
皆それぞれ「母親はこうあるべき」を持っていて、びっくりする。
そうしてそれを他愛もなく目の前の人間にぶつける、という鈍感さも、どうしてしてのけるのか。
上記とは別に、子どもが小学生になってわかったことがある。
“小学校は専業主婦がいることで成り立っている”
ということだ。※注1
二日前に「絵の具セットを購入するならこの封筒にお金を入れてください」とプリントを渡されたり、金曜日に持って帰ってくる来週の時間割の持ち物欄に突然「軍手」と書かれていてる。絵の具セットに至っては、いつ使うのかは明示されておらず、もし他のものを用意するなら云々等の記載もない。買わなきゃいけないのか? 金曜の18時過ぎに学校に電話して確認する? そもそもこの時間に先生は学校にいるのか?
否応の余地はない。
行事のスケジュールも終わりの時間が書かれていなくて連絡帳でわざわざ確認しなくてはならない。
大量のプリントの隅っこに大事なお知らせが書いてある……。
こんな調子で、なかなか手に入らないものまで突然持ち物として指示されたり、スケジュールが不透明なまま学校生活が進む。
小さなことかもしれないのが、こんな出来事が二か月弱で他にも諸々あり、
「これは家に母親がいて自由に動ける、という前提で学校が物事を回しているのでは?」
と思うようになった。
時間に余裕がある専業主婦の人なら可能かもしれない。※注2
だが現在、母親の七割が何らかの形で就労しているという結果がある。
参考)2019年 国民生活基礎調査の概況 結果の概要 Ⅰ 世帯数と世帯人員の状況より
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa19/dl/02.pdf
今の母親は常に家にいるわけではないし、そもそもどのような家庭にも余力があるという前提自体がおかしいのだが、小学校は当然のように家庭に「あれをしてほしい、これをしてほしい」と協力という名のもとに指示してくる。
それはつまり、家庭という力--余力として見られている母親のパワーに頼り切っているように見えてならない。※注3
シングル家庭で余力がない人たちはどうするのか?
親が病気だったら?
そういうときに困るのは子どもだ。
親がどうであれ、子どもが困らないように教育が受けられるというのが公共教育の意義ではなかったのか?
どこへ行けば私の疑問に答えてもらえるのだろう。
疑問は解決しないまま、
“母親に対しては好き勝手言っていい。
母親の力は今までどおり都合よく使いたいし、使う”
という現実だけ残る。
え、そんなの普通に嫌なんだけど。
母親というだけで、どうして好き勝手に消費されなきゃいけないの。
というか、
そもそもどうして母親はこんな扱いになっているんだ?
そんなわけで、最近の私の関心は“母親”だ。
どうやって母親は今の母親になったのか?
どうして母親パワーに学校は頼っているのか。
どうして母親は好き勝手言われるのか。
などなど、母親について調べて、私なりに理解したこと、考えたことなどをこのブログに書いていきたい。
(でも私、飽き性だからなあ。続くかなあ)
※注1)大雑把な言い方をしているが、専業主夫もここには含まれる。しかし注3にも記載したが、日本社会を見たときに専業主夫の数は少ないと思われる。
※注2)とはいえ、専業主婦がすべて時間に余裕があるわけではないだろう。障害を持ったお子さんの育児や親の介護をしている方等、さまざまな事情を抱えている方がいることは想像に難くない。
※注3)ここであえて母親と書いているのは、いまだに父親がフルタイムor自営業かつ母親が非正規雇用or無職というカップルが多いからである(全体の7割弱)。調査結果みなくてもそうだろうなあと思っていたけど、本当にそうだった。
参考)子どものいる世帯の生活状況および保護者の就業に関する調査2018(第5回子育て世帯全国調査)調査の概要・結果より
https://www.jil.go.jp/institute/research/2019/documents/192_01.pdf
カフェへ(掌編)
光が雪の上できらめいていた。バスの中で十分に浴びた太陽の恩恵をさらに受けながら雪の上を歩くと、サクサクと音がした。太陽光によって雪は解けだしている。
加留部みことは暗い灰色のダウンを着込み、くるぶしより十センチほど高さのある編み上げのブーツを履き、リュックを背負っていた。くるまれていない頬も鼻も赤くなっている。最高気温マイナス四度、最低気温マイナス八度、と天気予報では言っていた。バスを下り数歩の足跡の上を重ねるように歩いたせいでいくつかの雪がブーツに入ったらしく、足首に濡れた感触があった。
年の瀬に一日の休みを取った夫より、カフェにでも行っておいでと背を送り出された。貴重な休みだ。夫の休みは月に六回で、家族三人で休みを取れるのは月に一、二回しかない。この機会を逃せば、みことが一人でどこかに行くことは不可能になる。夫には月に四、五回も一人になる時間があるのだが。つま先に目を落とすが、革の色に変化はなく、水滴が丸く立体的に盛り上がっていた。先月買った撥水スプレーの性能が良いらしく、ブーツに雪は染み出さずに済んでいる。
雪というのは様々な音をたてるもので、もっと寒いと音はほとんどなくなる。そんな日は、空は雲で覆われて世界は灰色に閉ざされ、人々も口を閉ざし、道の脇に積み上げられて狭くなった道を歩くことになる。キュッキュというのは、自分の耳にしか届かない雪を踏みしめる音だった。歩道が埋もれてしまえば車道を歩き、行き交う車も人もどこか緊張を浮かべている。子どもの手を連れている母親はもっと神経質だ。周りに目を配り、子どもが道をふさいだり、転んだり、轢かれるのを避けなくてはならない。
しかし、今は手が空いている。手をふさぐ食料品・日良品が入ったビニール袋もなく、小さな手を引く必要も、誰かのために歩調を緩める必要もなかった。大股で歩いて目指す先はカフェだ。チェーン店だが、都市にならどこにでもあるものの田舎にはなかなかない店だ。ここが田舎ではなくて良かった。バスや電車にすこし乗れば、あるいは徒歩で、家ではない落ち着いた場所で母親や妻という人たちはそういった役割を脱いで、ようやくその人自身に戻れるのだった。
自分自身につけられた枷が、堅牢であることをみことは知っている。枷の先についたおもりは、みことを家から出すまいとしていた。枷は幾重にもなっていたし、おもりは一つではなかった。今歩みが軽いのは、その枷を一時的にではあるが、夫が代わってくれているからだった。
誰々の妻というのも、誰々の母親というのも、手足につけられた枷だ。そんなことないという声が必ずどこかから湧いてくるが、ならばどうして夫であり父親の男たちは積極的に家事も育児もしないのか。妻の代わりに家の仕事をすればいいのに、夫と呼ばれる多くの人は家に妻を押し込めて、自分は外を自由に闊歩する。みことの夫は、一年働ききった妻に、カフェにでも行っておいでといった。十分に働いた年だった。月に百二十時間前後働いて世帯収入の四割ほど稼ぎ、家事と育児をこなした。妻たちの枷は年々堅牢になっている。ここ最近は夫の足りない稼ぎも負って働くこと、労働の場で輝くことを求められるようになった。ところで男は職場で輝かなくていいのだろうか。それとももともと輝いていたとでもいうのだろうか。一体、だれが?
歩道が雪で埋もれた細い道路を、一台の軽自動車がみことの脇を行き、左斜め前の建物の前で止まった。一人の女性が車から出て、スマートフォンを取り出し、硝子戸に貼られた紙を撮影している。建物の看板を見ると、ラーメン屋らしかった。以前前を通りすがった際、老若男女が列をなしていたから、人気店らしいと推察していた。前も十一時前に通ったのだから、今日は休みなのだろう。もう一台の車がラーメン屋の前にとめられた車と、その反対を歩くみことの間を通ろうとしてのろのろと進んでいた。みことは脇によけ、車をやり過ごし、再び歩き始めた。
年末の大掃除はほとんど進んでおらず、諦めていつも通りに過ごす予定だ。おせちも雑煮も作る気はないし、家でのんびり過ごす。とはいえ、夫は年末年始の中で二日しか休めず、そのうちの一日は今日で、もう一日は夫の実家で過ごさなければならなかった。親族の子らにお年玉を用意しなければならない。誰にいくら包むのかもまだ決まっておらず、義実家に聞くように伝えているが夫はのんびり構えている。もともとスケジュール管理が苦手で、彼がどうして管理職をしているのか不思議でならない。ぽち袋は購入済みだが一万円札を崩さなくてはならないし、お年玉の総額がいくらになるのか、年越しを過ごす金は足りるだろうか、スーパーはいつまで開いていて、どれくらいの食料を買い込めばいいのか、と考えることはつきない。
そうこう考えているうちに、遠くにカフェの建物の一部が目に入った。ダークチョコレート色の壁、カフェのロゴの最後のS。カフェに行ってすることは、コーヒーを飲み、読みかけの本を読むことだった。目的のカフェはチェーン店ではあるが、天井が高く、姦しく喋る客がおらず、読書に最適な場所であることは前回行って調査済みだった。リュックに入れてきたのは海外作品の小説だ。最近は古い作品に興味が傾き、特に女性が書いたものばかり読んでいた。このころ復刊されたという本は分厚く、それでも読むことに意義がある気がしていた。意義というと大仰だが、それ以外の言葉が思い浮かばなかった。高尚な男性の本好きには鼻で笑われそうなものだ。女が偉そうに。――まるで父が言いそうなセリフだ。女は家で子どもの面倒を見ているのがふさわしい。結婚し、仕事はそこそこに、子どもを産んで、良い妻、良い母として――。
どうして女は自由を手に入れてはいけないのか。
瞬時ひどい怒りがこみあげて、足を留め、深呼吸をした。しんと静まった住宅街には鳥の声ひとつもなかった。冷たく澄んだ空気は肺を洗う。
空を見上げ、まつ毛で瞳が隠れるくらいに目を細める。雲一つない、青色に救いを見い出だそうとした。
地の底に眠る古い巨大な竜を砕くには、強い意志が必要だ。打ち砕かなくてはならない。自分のために、仲間のために、後ろに続く女と男のために。今のみことにはそれが備わっていた。
歩かなくてはならない。歩く意思がある。歩く自由を持っている。賛同者がいる。私には足があり、どこに行くこともできる。
おおきな道路に突き当たり、対向車線の向こうに、濃い茶色のカフェを見つけた。歩行者用の信号は赤。
カフェでは小音量のゆったりした音楽が流れている。ジャズだろうか、それともクラシックなのか。せわしなく働いている店員もよくわからないでいる。何せ忙しいのだ、その忙しさは近年需要が増えたドライブスルーの注文を捌くためだたった。音楽と店員の動きは協働しないものの、路面側におおきな窓があるにもかかわらず店内は暖かで、テーブルの感覚は十分に保たれ、壁にはおおきな絵が飾られて、ここが上質な場所だと主張していた。その主張は受け入れられ、すでにいる男性一人の客も女性一人の客もそれぞれテーブルの上にタンブラーと本やノート、タブレットをおいてそれぞれの時間に没頭していた。
まもなく一人の女性客がやってくる。一週間ほど前にカットされた黒いショートボブ。しっかり引かれたアイラインとマスカラが彼女の黒目を強調している。彼女は暗い灰色のダウンを着、背負ったリュックには一冊の分厚い本が入っている。彼女はここで自由を手に入れる。羽を休める。その羽にはインスピレーションが宿り、間もなく羽ばたきに変わる。その予感を彼女は黒い瞳に秘めている。
よいお年を
よいお年を、と子どもが言った。
バスの運転手に、バスを降りるときだった。
得意げな顔に、笑みを漏らしながら、よく言えたねと、バス停で頭を撫でた。
先ほど保育園で、あけましておめでとう、と先生に言い、それはまだだよ、今は良いお年をだよと教えられたばかりで、彼は実践したのだ。
彼の距離感はまだ独特で、通りすがりの人に挨拶をすることは減ったものの、親としてはその人に?という人に突然声をかけることがあって驚く。
彼の中の分け隔てなさに感心しつつ、自分が子どもだったころの“平等でなくてはいけない”という強迫観念じみた思想も思い出す。その思想は長らく自分にべったりと貼り付いて取れなかった。
私の子も、いつかそれで苦しむのだろうか。
私の子以外の子をもし何かの理由で面倒を見なくてはならなくなったら、私は葛藤を覚えるだろう。それでも葛藤を覚えることを、当然だと受け入れられるだろう。今の自分であれば。葛藤に苦しむことは確かとして。
無邪気に見えるものの、子どもは思いのほか周りに気を遣っている。
今年の秋に田舎にある実家に行った折、テンション高く喋り続けていた子どもが夜9時になると、私たち三人家族に用意された二階の部屋に行こう、と繰り返し口にした。三人で二階に上がると、笑顔に力が抜け、いつものテンションに戻った。
二年ぶりくらいに会う私の両親に気を遣って元気で溌溂な孫らしい振る舞いをしていたのだろう。6歳の子どもでも、十分に社会的な側面を持っていると知ったひとコマだった。
世界に放り出されたころの、何かにつけて泣いて主張するころはとっくに過ぎて、頬を膨らましたり、憎まれ口をたたいたり、優しさを分け与えたりすることを彼はもうできるのだ。
子どもの成長に思いを巡らしながら、年を越すことになりそうだ。
来年の4月には子どもは小学生になる。子ども自身うまくやっていけるかより、親の私がちゃんとふるまえるかの方が心配だったりする。
年末年始は最近やる気を出している子どもの文字の練習と、ぷよぷよテトリス2の修行と読書に勤しみます。
それでは良いお年をお過ごしください。
ガムランが聴きたい
唐突な思い付きに優しいAppleMusicもしくはYoutube。
とりあえず検索してガムランを聴く。
バリに行きたいという気持ちになったことはないけれど(だって虫が大きそうだし。=主な理由)、オクターヴを読むとバリで過ごしたくなる。
死の夜と朝に迎える生だ。
私たちは毎日夜に死んで朝に生まれ変わる、というような話がある。
一人で海外に行きたいなという気持ちにさせる本でもある。
(レイプシーンは苦手だけど)
にしてもガムランを聴くと何かのテレビゲームを思い出すんだけどなんだろう。
にしても、音を聞いてゲームを連想するって、ゲームは偉大だな…。
今勢いに乗って久しぶりに北欧神話について調べている。
幡野さんの連載終了について考えたこと(2)
(3)SNS上での文脈について
幡野さんの連載終了の記事(最終回)が出て、とあるイベントで彼と一緒に出ていた人の多くは「良い連載でした」「連載が終わって残念です」、もしくは炎上した記事に対して庇うような意味合いのことばを引用リツイートで投稿していた。
彼らの投稿を見て、私はがっかりした。
がっかりしたあとに、「なぜがっかりしたのだろう」としばらく考えて以下の結論にたどり着いた。
- 幡野さんと一緒にイベントに出ていた人=幡野さんと仲が良い人
- 幡野さんと仲が良い人は、炎上した記事のときは反応していなかった
- 最終回にだけ、好意的な言葉や庇う言葉を贈っていた
- 幡野さんと仲が良い人は、炎上しているときは触らぬ神に祟りなしと近寄らなかったけれど腹の中では幡野さんの記事を肯定していて、最終回はここぞとばかりに好意を寄せて庇った
- 幡野さんと仲が良い人は、あの記事を肯定していたのか、がっかりだ
冷静になって上記の流れを読むと、幡野さんと仲が良いと括っている人は仲が良いとは限らず、中には医者もおり、コロナの渦中で忙しすぎて何も見ていなかった等々私の判断が誤っている可能性については気づけた。
でも明らかに庇っている人もいて、そうして庇った人たちはあっという間にその投稿を消した。
彼らと括った人たちもそれぞれなんだろう、と思いつつSNSの難しさが自分の中で一つ可視化された。
- 意見を表明しないことは、“意見を表明しなかった”という姿勢・意味を残すことになる
- その上で、“どこで意見表明をしたか”、“どこで意見表明をしなかったか”によって、SNS上に文脈が作り上げられてしまう
SNSってこわいね。
意見表明をしたか・しなかったか、というのは政治の話で出てくるやつだと思っていた。身近なところで言うと社内政治はあるけれど、この身近でちっちゃな政治でも、巻き込まれると大きなため息を吐くくらいには疲弊する。
それがSNSという基本スタンス“気楽”なものが、文脈を現すとなると、面倒くさい、というのが正直なところだ。
興味深かったのは、おかざき真里さんが幡野さんの最終回の引用リツイートで、
私にはよくわからないのだけれど、「人生相談」というコンテンツはエンタメじゃなかったのかな。正さは確かに他にあるだろうけれど、正しくないものが時に人を救うことだってあるのではないかな?
と書いたことだ。
好きな漫画家さんだったから発見したときは愕然とした。幡野さんの炎上記事を擁護しているようにしか見えなかったし、エンタメであれば何をしてもいいと言っているようにも見えたからだ。
その後の展開からそういう意味ではなかったと判明したし*1、私が考えている表現者としての姿勢とほとんど同じということも垣間見えたから、胸を撫で下ろした。
前述のSNS上での文脈という観点からも、幡野さんと同じイベントにいた人が炎上記事に対して批判する人がいた、というのは発見だったし、何かしらのキーになりそうに見えた。
ここで表現の話に戻る。
エンターテインメントを含めた表現には、いつも観客を傷つける可能性を秘めている。
いくら傷つける意図はなかったとしても、どれだけの配慮をしても傷つけることはある。だから、表現者はその業を負う。
幡野さんは、表現が誰かを傷つけることを知らなかったのだろうか。
疑問は残るし、結論は出ない。
でも今回のテーマで書こうと思ったことはこれでお終いです。
他にも思うところはあったけれど、今書けるのはここまでだ。
とっ散らかったな……と反省が残るけれど、少しくらいは誰かに伝わるだろうか。
最後に所感を少し。
一連の出来事を経て、自分の意見表明の大切さを認識できた、というのは意義深いことだった。オードリー・タンが本の中で、インプットした分アウトプットするよう説いているのを読んでこのブログを始めたところもある。
今回の件は重たいインプットであったけれど、内容は何であれアウトプットできたのもよかった。
大学生のときに受けた講義で映画『シンドラーのリスト』への批判があったという話を聞いた。
あの映画に描かれなかった戦争の側面について。
ストーリーからこぼれ落ちが出来事は、記憶からも零れ落ちていく、ということ。
語られたこと、語られなかったこと、口を噤んだこと、声を上げたこと。
それぞれの行為の意味について、今は出口もなく、考え続けている。
ではこの辺で。
幡野さんの連載終了について考えたこと(1)
cakesでの幡野さんの人生相談が連載終了になった。
いろいろ思うところはあるけれど、3点に絞って考え込んだことを並べてみようと思う。
(1)表現することについて
(2)誤魔化すことについて
(3)SNS上での文脈
(1)表現することについて
2回目の炎上から、連載終了までの一連の流れを追って改めて表現することについて考えさせられた。
以下に箇条書きするのは、表現での前提だ。
- 表現するというのは、どんな表現であっても表現者は表現の媒体(場所)に依存する。作品の内容もあるし、複数の作品を並べるときは作品選びや作品の順も考える。
- 作品と作者の関係性は、観客が一人であれば、一対一になるけれど、たいていはそうではなく、一対多だ。
- 表現されたものは、観たり読んだりした人のものになる。かみ砕かれ、その人の一部になる。
炎上後の幡野さんのコメントで、以下のように書いた。
『「女の子はこの回答で絶望したと思います」とかいうツイートも見かけましたが、全くそういうことはないです。』『私は幼馴染に何となく申し訳ない気持ちがあったというか、なにも出来なくてごめんねなんて思ってたのですが、幡野さんのおかげで少し気持ちが軽くなりました。』と言っていただけました。
なので良し、ということらしい。
しかし、前提2と対照すると「一対多の場所で、何言ってんだ?」になる。
人生相談の回答が相談者だけのものであれば、わざわざ開かれた場所に回答を置く必要はない。開かれた場所に置かれた回答は表現そのもので、読んだ人たちそれぞれのものとして、前提3のように読んだ人たちのものになる。
だから、けっして相談者がよいと言ったのだから良しという論理にはならない。
もしその論理を使うのであれば「どうぞ一対一の場所でやってください」だ。
にしても不思議なのは、幡野さんの本業は写真家ということだ。
私が挙げた前提なんて、嫌でも体感していると思うんだけど。
個人に依頼された写真と、公共の場に展示される写真は必然的に変わる。
展示する際だって、その場所によって展示する写真を変える。自分の伝えたいものが、観客に伝わるように。来る人を大まかに想定して展示を組み立てることだって往々にしてあるはずだ。
テレビだって深夜時間とゴールデンタイムで出す番組を分けている。
表現者は嫌でも観客を意識せざるを得ない。
ときには大きな批判を想定しながらも、“その表現”を“ここ”に置かざるを得ないことだってあるだろう。
そういう意味で、写真家の幡野さんは人生相談の回答を表現の一つとは思っていなかったのかなあ、とも思う。
それこそありきたりなテンプレートで安全な回答であれば、固有性は消えて表現とは言えないものだったのかもしれないけれど、そうではなかったんでしょう?
(2)誤魔化すことについて
2回目に炎上した回答について私が最も感情的になったのは、幡野さんも編集部も相談者に友人が受けている暴力の事実を隠そうとしたことだ。
それらを容認する意図はありませんが、DVやネグレクトや虐待という言葉の使用はあえて控えました。
と炎上後のコメントに書いていあり、回答の際に、相談者に友人が受けているものが暴力であることを隠そうとしていたことが読み取れる。
誤魔化して対応をしないことが何を招くのか。
声を上げた人たちの中に具体的な体験を話す人はいなかったけれど、自分の経験を想起する人もいたんじゃないかな、と思う。
以下に、今回の件で実際に思い出した私の経験について列挙する。
A)小学生の時に教師にいやがらせを受け、周囲の大人がその事実を知りながら対応をしなかったのだと知ったときのこと。
B)中学生の時に同級生が殺人を起こし、そのときも大人は口を閉ざし、何の説明もケアもしなかったこと。
C)高校生の時に「〇〇が性的虐待を受けてどうしたらいいかわからない」と同級生の□□に相談されたこと。
AとBは、大人が対応をせず、なかったことにしたという事例だ。
Cのケースは、友人が受けた暴力について間接的ではあるけれど、知ったというものだ。今回の相談者のケースに近い。あいにく私はAとBの経験があり、Cの高校生のときには大人に相談するという手段をなきものにしていた。言うまでもないが、大人への不信が原因だ。
もしCのとき、もし大人の誰かに相談して、曖昧にはぐらかされ「本人のことは最終的に本人の責任なんだから自分のしあわせについて考えなさい」と言われていたら、怒り狂ったかもしれない。
または、「相談して気持ちが楽になりました」と笑顔を貼り付けて大人の前から去ったかもしれない。
送られてきた相談文で、相談者の背景が深く知れるとは思わない。
だからこそ、回答が大人への信頼の綱を切る最後の一撃になる可能性を孕んでいる。
その一撃がどれくらい危ういものか。
キミが恋愛をするときに、友達の彼みたいな人は避ければいいよ
回答の最後の一文が優しさに見えるかどうかは相手次第だ。
誤魔化してうやむやにすること、対応しないことが何を招くのか。
もう少し想像力を働かせてほしかったし、相談者が私みたいな子じゃないといいな、と切に思う。
(過去のことを思い出すと正直しんどい。愚痴)
(長くなったので続きます)
*1:だからと言って“万人に受け入れられるものを”という気はない。ここで言うのはあの場は一対一ではなかったよね?当然幡野さんも編集部も知っていたよね?という問いかけである。