自動的に母親に成るのか?

「あなたはお母さんになったからうんちのおむつも替えられるんだね」

すごいね、俺は絶対にできない、と出産から数日経過後、私に言ったのは夫であった。

 

こいつは何を言っているんだ……?

 

と当時は思ったのだが、今考えると違う視点で彼の発言を捉えることができる。

 

”女性は出産したら自動的に母親に成る”

 

夫はそう思っていたに違いない。

たしかに女性は子どもを産んだと同時に母親になる。

しかしそれは男性も同じで、子どもが生まれた途端父親になるのだ。

子どもを産めば自動的に親になるのは当然の事なのだが、母親の場合は父親の場合と別の意味が付与されるらしい。

 

”母親は子どもを産むと母親になり、自動的に子どもの世話をする能力を手に入れる”

 

何を言っているんだそんなはずないだろう、と私も今は思うのだが、

子どもを産む前は私もそう思っていた節がある。

眠れないとは言うけれど、もともと不眠気味だし、他の母親になった人たちだって暮らしているのだろうから何とかなるだろう。

だって、母親だから。

母親になったら、できるのだ。

自分でもそう思っていたし、周りにもそう言われていた。

 

だが、実際子どもを産んでみると、私は母親にならなかった。

自動的に子どもの世話ができるわけじゃなかった。子どもの泣き声に耐えられるわけでもなかった。体はボロボロで、夜な夜な子どもを抱いて歩いているとき、どこかに足を引っかけて転んで怪我をさせるのではないかと冷や冷やしていた。

何をしても子どもは泣き止まなかったし、ひたすら母乳を飲み続け、細切れの眠りは睡眠と呼べるようなものではなかった。

 

あの頃の私は、自動的に母親になったのではなく、子ども生かすためにGoogleで検索し、本を読み、Twitterをさまよって、それで必要な知識や慰めを得て、子どもと自分を生かし続けた。

それはひとえに私の努力からなるものだった。けっして母親になって母性に目覚めて子どもの世話ができるようになったわけではない。

 

私も夫も、どうして母親に自動的になると思っていたのだろう?

 

そのヒントになりそうなものを本で見つけた。

以下は、大日向雅美『母性愛神話の罠』から。

(1)”産む能力イコール育てる能力”説

最も素朴な母性愛神話は、女性の能力はそのまま育児能力に繋がるとみなす考え方である。たとえば『広辞苑』には、母性とは「女性が母として持っている性質。また母たるもの」とあり、母性愛は「母親が持つ、子に対する先天的・本能的な愛情」と定義されている。どのような特性を意味するかについての具体的な記述は省かれたまま、母性は女性特有の生得的な性質であることを強調したもので、いわゆる母性本能説を代表した定義である。

そう言われてみれば、母性と言われると、生得的なものとして語られていることが多い気がする。

 

次に、カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』より。

女性は生まれつき家事に向いているのだ、と人は言う。もしもそうなら、女性が皿洗いをしたり子どもの鼻を拭いてやったり、買い物リストをつくったりするのは、理にかなった役割分担かもしれない。--(中略)--でも、何を根拠に女性が家事に向いているといえるのだろう? 経済学者によると、もしも男性のほうが家事に向いているとしたら、すでに男性が家事をしているはずだ。--(中略)--でも現実に男性は家事をしていない。だから女性のほうが家事に向いているにちがいない、というわけだ。女性が家事に向いているという説は、その程度のいい加減なものだった。聞かれれば、生物学的に決まっているのだ、と言ってごまかすのが落ちだった。

家事に子どもの鼻を拭くことも含まれていることを考えると、育児も含めての話のようだ。

最後にもう一つ。

オルナ・ドーナト『母親になって後悔してる』より。

女性が産む能力と育児の必然性を合致させるという考え方は、いまだにかたくなに支持されている。さらに、母になる義務が「女性の本質」であるという表現は、生まれてきた、または養子に迎えた子どもの育児と世話をする先天的な母としての本能と生物学上の能力を、男性よりも女性のほうが備えているという考えを容認するためにも使われる。

上記三つの記述から、母親になれば自然と母親に必要な能力を得るのだと、世間一般的にも思われているらしい。

 

もし私が自動的に母親になれたなら、あれほど一生懸命に何かを調べただろうか。

もっと簡単に、余裕をもって子どもの世話をできただろうし、明るい顔をしていたはずだ。

もし自動的に母親になれたなら、生得的に母親としての能力があるなら、なぜ私は産後に訪れた保健師に心配されたのだろう。

エジンバラ産後うつ病質問票の回答をして、「子どもはかわいいけれど、いなくなりたい」と言った私は、何者だったのか。

生物として劣った母親?

母親になれないのは、母親自身の個人的な問題?

 

妊産婦の死因のトップが自殺であると発表されたことを覚えている人もいることだろう。

妊産婦の死因、自殺がトップ。産後うつでメンタル悪化か。~朝日新聞より | 医療法人玲聖会

実際に自殺した方の後ろには、通常のうつと同じように、死には至らないものの、苦しんでいる人が多くいることは想像できる。

実際、初産婦の25%に「うつの可能性がある」と判定されている。

 

女性は自動的に、母親に成れるのだろうか?

いいや違う、とあの頃の私に言いたい。

でもあの苦しさを産む前から知っていたら、母親になっただろうか。

私はどうして、母親の苦しみを知らなかったのか。

 

ところで、私はどんな母親に成れると思っていたんだろう?