カフェへ(掌編)

 光が雪の上できらめいていた。バスの中で十分に浴びた太陽の恩恵をさらに受けながら雪の上を歩くと、サクサクと音がした。太陽光によって雪は解けだしている。

 加留部みことは暗い灰色のダウンを着込み、くるぶしより十センチほど高さのある編み上げのブーツを履き、リュックを背負っていた。くるまれていない頬も鼻も赤くなっている。最高気温マイナス四度、最低気温マイナス八度、と天気予報では言っていた。バスを下り数歩の足跡の上を重ねるように歩いたせいでいくつかの雪がブーツに入ったらしく、足首に濡れた感触があった。

 年の瀬に一日の休みを取った夫より、カフェにでも行っておいでと背を送り出された。貴重な休みだ。夫の休みは月に六回で、家族三人で休みを取れるのは月に一、二回しかない。この機会を逃せば、みことが一人でどこかに行くことは不可能になる。夫には月に四、五回も一人になる時間があるのだが。つま先に目を落とすが、革の色に変化はなく、水滴が丸く立体的に盛り上がっていた。先月買った撥水スプレーの性能が良いらしく、ブーツに雪は染み出さずに済んでいる。

 雪というのは様々な音をたてるもので、もっと寒いと音はほとんどなくなる。そんな日は、空は雲で覆われて世界は灰色に閉ざされ、人々も口を閉ざし、道の脇に積み上げられて狭くなった道を歩くことになる。キュッキュというのは、自分の耳にしか届かない雪を踏みしめる音だった。歩道が埋もれてしまえば車道を歩き、行き交う車も人もどこか緊張を浮かべている。子どもの手を連れている母親はもっと神経質だ。周りに目を配り、子どもが道をふさいだり、転んだり、轢かれるのを避けなくてはならない。

 しかし、今は手が空いている。手をふさぐ食料品・日良品が入ったビニール袋もなく、小さな手を引く必要も、誰かのために歩調を緩める必要もなかった。大股で歩いて目指す先はカフェだ。チェーン店だが、都市にならどこにでもあるものの田舎にはなかなかない店だ。ここが田舎ではなくて良かった。バスや電車にすこし乗れば、あるいは徒歩で、家ではない落ち着いた場所で母親や妻という人たちはそういった役割を脱いで、ようやくその人自身に戻れるのだった。

 自分自身につけられた枷が、堅牢であることをみことは知っている。枷の先についたおもりは、みことを家から出すまいとしていた。枷は幾重にもなっていたし、おもりは一つではなかった。今歩みが軽いのは、その枷を一時的にではあるが、夫が代わってくれているからだった。

 誰々の妻というのも、誰々の母親というのも、手足につけられた枷だ。そんなことないという声が必ずどこかから湧いてくるが、ならばどうして夫であり父親の男たちは積極的に家事も育児もしないのか。妻の代わりに家の仕事をすればいいのに、夫と呼ばれる多くの人は家に妻を押し込めて、自分は外を自由に闊歩する。みことの夫は、一年働ききった妻に、カフェにでも行っておいでといった。十分に働いた年だった。月に百二十時間前後働いて世帯収入の四割ほど稼ぎ、家事と育児をこなした。妻たちの枷は年々堅牢になっている。ここ最近は夫の足りない稼ぎも負って働くこと、労働の場で輝くことを求められるようになった。ところで男は職場で輝かなくていいのだろうか。それとももともと輝いていたとでもいうのだろうか。一体、だれが?

 歩道が雪で埋もれた細い道路を、一台の軽自動車がみことの脇を行き、左斜め前の建物の前で止まった。一人の女性が車から出て、スマートフォンを取り出し、硝子戸に貼られた紙を撮影している。建物の看板を見ると、ラーメン屋らしかった。以前前を通りすがった際、老若男女が列をなしていたから、人気店らしいと推察していた。前も十一時前に通ったのだから、今日は休みなのだろう。もう一台の車がラーメン屋の前にとめられた車と、その反対を歩くみことの間を通ろうとしてのろのろと進んでいた。みことは脇によけ、車をやり過ごし、再び歩き始めた。

 年末の大掃除はほとんど進んでおらず、諦めていつも通りに過ごす予定だ。おせちも雑煮も作る気はないし、家でのんびり過ごす。とはいえ、夫は年末年始の中で二日しか休めず、そのうちの一日は今日で、もう一日は夫の実家で過ごさなければならなかった。親族の子らにお年玉を用意しなければならない。誰にいくら包むのかもまだ決まっておらず、義実家に聞くように伝えているが夫はのんびり構えている。もともとスケジュール管理が苦手で、彼がどうして管理職をしているのか不思議でならない。ぽち袋は購入済みだが一万円札を崩さなくてはならないし、お年玉の総額がいくらになるのか、年越しを過ごす金は足りるだろうか、スーパーはいつまで開いていて、どれくらいの食料を買い込めばいいのか、と考えることはつきない。

 そうこう考えているうちに、遠くにカフェの建物の一部が目に入った。ダークチョコレート色の壁、カフェのロゴの最後のS。カフェに行ってすることは、コーヒーを飲み、読みかけの本を読むことだった。目的のカフェはチェーン店ではあるが、天井が高く、姦しく喋る客がおらず、読書に最適な場所であることは前回行って調査済みだった。リュックに入れてきたのは海外作品の小説だ。最近は古い作品に興味が傾き、特に女性が書いたものばかり読んでいた。このころ復刊されたという本は分厚く、それでも読むことに意義がある気がしていた。意義というと大仰だが、それ以外の言葉が思い浮かばなかった。高尚な男性の本好きには鼻で笑われそうなものだ。女が偉そうに。――まるで父が言いそうなセリフだ。女は家で子どもの面倒を見ているのがふさわしい。結婚し、仕事はそこそこに、子どもを産んで、良い妻、良い母として――。

 どうして女は自由を手に入れてはいけないのか。

 瞬時ひどい怒りがこみあげて、足を留め、深呼吸をした。しんと静まった住宅街には鳥の声ひとつもなかった。冷たく澄んだ空気は肺を洗う。

 空を見上げ、まつ毛で瞳が隠れるくらいに目を細める。雲一つない、青色に救いを見い出だそうとした。

 地の底に眠る古い巨大な竜を砕くには、強い意志が必要だ。打ち砕かなくてはならない。自分のために、仲間のために、後ろに続く女と男のために。今のみことにはそれが備わっていた。

 歩かなくてはならない。歩く意思がある。歩く自由を持っている。賛同者がいる。私には足があり、どこに行くこともできる。

 おおきな道路に突き当たり、対向車線の向こうに、濃い茶色のカフェを見つけた。歩行者用の信号は赤。

 

 カフェでは小音量のゆったりした音楽が流れている。ジャズだろうか、それともクラシックなのか。せわしなく働いている店員もよくわからないでいる。何せ忙しいのだ、その忙しさは近年需要が増えたドライブスルーの注文を捌くためだたった。音楽と店員の動きは協働しないものの、路面側におおきな窓があるにもかかわらず店内は暖かで、テーブルの感覚は十分に保たれ、壁にはおおきな絵が飾られて、ここが上質な場所だと主張していた。その主張は受け入れられ、すでにいる男性一人の客も女性一人の客もそれぞれテーブルの上にタンブラーと本やノート、タブレットをおいてそれぞれの時間に没頭していた。

 まもなく一人の女性客がやってくる。一週間ほど前にカットされた黒いショートボブ。しっかり引かれたアイラインとマスカラが彼女の黒目を強調している。彼女は暗い灰色のダウンを着、背負ったリュックには一冊の分厚い本が入っている。彼女はここで自由を手に入れる。羽を休める。その羽にはインスピレーションが宿り、間もなく羽ばたきに変わる。その予感を彼女は黒い瞳に秘めている。